シリーズ 証言記録 兵士たちの戦争「陸軍軍医の戦場」 を観て

 

戦場での医療行為について証言したのは、元陸軍軍医の90歳を越えた男性ばかりであった。
わたしは、安楽死や生体解剖についても語るのだろうか……と思いながら見つめた。

その言葉自体は、誰の口からも出てこなかった。
でも、その事実について語る人はあった。まるでしぼりだすように。
用心深くその言葉をさけながら、語った事実はとても具体的だった。
「二人やりました……」
安楽死させるために、自分が傷病兵に打った注射の中身とその量について。
生体解剖をした中国人ふたりについて、その風貌をしっかり語った人もいた。

70年近くたっても、記憶の外に消え去ってはいない。
その重さに、わたしは少し息苦しくなった。

敗戦の色濃くなった日本軍は、もはや傷病兵を野戦病院に後送するための人の手も輸送手段も失って、
前線で安楽死が秘密裏に行われた。
軍医が不足し、経験のほとんどない新米の医者を前線に送ることになり、彼らの技術のために「手術実習」と称して、生体解剖に及んだ。

――と番組が補足していた。

なぜ90歳を越えてから、前線の真実を語ることになったのか?
この人たちは、戦後も医師として生きて来た人たちだ。
現役時代はとても話せなかったろう。
70代になったら? 80代ではどうだろう。

きっと黙したまま、墓場まで持って行った人たちが大半だ。
90歳を超えて初めて口を開いた……ということに大きな意味がある。

番組を観ていて、「歯切れが悪い」と感じた人もあるだろう、と思う。
わたしは数年前、従軍看護婦だった女性何人かに、取材をしたことがある。
その方々も、90歳前後だった。
上記と同じ重い「過去」を語ってくださった方もある。
やはり、言葉を選び選び、であった。苦痛に満ちた表情だった。
そんな場で、「どうなんですか」なんて、詰問する気にはなれなかった。

「お遍路を周り、毎朝、仏壇に手を合わせるている」とおっしゃった表情が、今でもわたしの脳裏に焼き付いている。

直接手を下した医療関係者は、自分の判断で行ったわけではない。
そこには、必ず命令を下した存在がある。そして断れないという「状況」が。

90歳を越えて、初めて証言をした人々の勇気について、考えさせられた。
これを無駄にしてはならないだろう。

番組の再放送があります。
8月25日午後0:00~0:45
NHKBSプレミアム

 

 

 

 

 

シリーズ 証言記録 兵士たちの戦争「陸軍軍医の戦場」 を観て” への4件のフィードバック

  1. Unknown
    >がんじ様、

     コメントありがとうございました。
     戦友会、そうですね。
     医療関係者には、病院や赴任地域の単位で、同窓会のような組織もできていますね。手記を集めた冊子を読んだときに、強固な結びつきを感じました。
     
     

  2. Unknown
    >まろさん、

     私見ですが、周りの関係者がいなくなった今だから、やっと語れるのではないか、と思います。
    「ありの兵隊」というドキュメンタリー映画をごらんになりましたか? 主人公の男性は、自分が中国の一般人を殺戮した事実を、ずっと奥さんに話せないでいる、という描写がありました。
     妻や子に、自分の暗黒の部分をさらけだすのはたいそう勇気がいることなんだと思います。
     個人の勇気に期待するのではなくて、国なり公の組織が、戦争の真実を検証するという視座で、証言の受け皿を用意すべきなんですよね。
     おっしゃるとおり隠蔽され、歪曲されたままでは、また同じことを繰り返すことになりかねませんね。

  3. Unknown
    要点だけの記述です。
    戦友会が崩壊したから彼らは話せるのです。
    聞くなら・・・ 今です。

  4. 重いなあ・・
    とても重い話で安易にコメントなど出来ないのですが・・・
    記事を読みながら、戦時中、満州で暗躍した731部隊(石井部隊)のことをやはり思い出しました。ご存じのように731部隊は関東軍の命令で「防疫給水」という名の下、密かに細菌兵器の研究を専門としていた組織で、現地の人を対象に実際に感染テストや人体実験をやっていたことで大問題になりました。
    その実働部隊だったのはやはり若い医師や医学生たちで、戦争は医療という、人間本来の「聖域」「根源」である部分でさえ、容赦なく蹂躙し利用していくものなのですね。
    ただ、僕が常に割り切れないのは、そうした若い医師たちが、戦後も引き続き医師であり続け、平然とは言わないまでも、過去に口を閉ざすだけで、自らの「責任」については何ら能動的なアクションを起こさず、自分の「平和」だけに安住してきたことです。無論、それぞれ苦い思いはあるのでしょうが、だからと言って語らないことが「美徳」であり「謝罪」であるかのような安易なセンチメンタリズムにはやはり反駁を覚えます。
    やはりそういう人たちが苦しくても声を上げてくということが、戦争への反省、抑止につながると思うのですが、それにしても戦後60年、70年というのは余りにも遅すぎます。なぜ語らなかったのか、語れなかったのか、なぜいまなのか・・・
    それを検証していかないと、結局、情緒的なドキュメンタリーになってしまうような気がするのですが、どうなんでしょうか(苦笑)
    実は終戦の日のNスペでも、長崎の原爆投下は軍がアメリカの投下命令の暗号無線を事前に傍受しており、すぐに対処すれば防げた・・・という衝撃的なものでした。結局、その時はすでに軍そのもののガバナンスが崩壊しており、座視するしかなかったということですが、そのことのショックもさることながら、そんな大変な事実がなぜ今まで封印されて来たのかということがショックで、しばらく口もきけませんでした。
    ことほど左様に、戦時中のさまざまな情報が隠ぺい、歪曲されており、それを根気強く解き明かしていくことがマスコミの片隅にいる人間の責任だ・・・などと言うと大げさですが、66年目の夏にいろいろなことを思うこの頃です。

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