稚内公園 ~ 特派員便り、自分で②

ホームページの解説をお借りしました。
写真はヒガシが撮影。

九人の乙女の碑
 終戦直後の昭和20年(1945年)8月20日、ソ連軍による樺太真岡侵攻の最中、
勤務する真岡郵便局の交換台を最後まで守り、
自らの命を絶った9人の若き女性交換手を慰霊する為に、昭和38年に建立されました。
慰霊碑には亡くなった9人の名前、彼女達の最後の言葉となった
「皆さん、これが最後です。さようなら、さようなら・・・・・」の文が刻まれています。

青酸カリで自決したそうです。
従軍看護婦さんの取材をした時にも、この「青酸カリ」という言葉が出てきました。
悲話とくくってしまうには、あまりに辛い歴史です。

 

南極観測樺太犬記念碑・樺太犬供養塔
 昭和32年(1957年)日本が初めて南極観測に参加するあたって、
極地での物資輸送を目的に、20頭の犬ぞり隊が編成されました。
この犬ぞり隊は稚内周辺から集められた樺太犬です。
犬ぞり隊は稚内公園で厳しい訓練を受け南極大陸に派遣されました。
しかし昭和33年南極の悪天候を克服出来ず、
樺太犬15頭が現地にやむなく置き去りにされるという悲劇が起こりました。

その1年後再び越冬隊が南極を訪れた時、
タロ、ジロの2頭が奇跡的に生き延びていたという感動的なニュースは、
当時世界中に報じられました。
南極観測史上、最も大きな功績をたたえて制作されたのです。
ジロをモデルとしたブロンズ像で、
台座には南極で採取された真っ白な石が埋め込まれています。
又、公園頂上には南極で亡くなった犬達の慰霊碑、樺太犬供養塔が建っています。

これがジロなんですね。
精悍!
左上にあるのが南極の石、ですね。

南極犬として選抜される前、「キャンプ」が行われたのが、この稚内公園だったんですね!
犬好きとしては、感慨深い話です。
変化に富む山の道を駆けたのかなあ。

ときには、海の向こうにサハリンが望めるそうですが、あいにくこの日は見ることができませんでした。
この地にまた、来ることがあるかなあ。

稚内公園 ~ 特派員便り、自分で②” への2件のフィードバック

  1. 銅像
    これは実際、迫力のあるものでした。
    東京タワーの裾野にあるモニュメントとは大違い(笑)。
    でも作者の名前が書いてなかった。
    あれはよろしくないと思いました。

    九人の乙女……わたしはこの史実を知らなかったんですよ。勉強になりました。

  2. Unknown
    さまざまな思いが募った歴史の重なりの上に私たちは生きているのですね。

    ジロの銅像、極寒の地で力強くそりを引くその姿に胸が熱くなります。

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