特派員便り北海道編③

<納沙布岬まで500キロの巻>承前
 


 とその前に、デスク補佐・ニキ子ちゃんより感動のベゼを頂戴しましたので、お返しに、釧路湿原での旅情を1つ。



広大なる釧路湿原を前にしてポツリ。


◇・・・ここは、尾瀬ですか?

◇     <釧路失言>


  


   …………と、特派員さん、大丈夫ですかぁ。ニキ子、心配。
   …………気を取り直して。 


 


釧路湿原から国道44、国道35をとおり、根室を過ぎて、納沙布岬に着きました。



途中、根室半島に入って、左手にオホーツク海が見え始めた時には、思わずクルマの中で歓声を上げてしまいました。東京生まれの特派員には、海はいつも胸をふくらませる輝く対象です。


納沙布岬は、政治の岬でした。


正面に、4階建ての高さがあるような巨大なモニュメント「四島のかけ橋」、高さ97メートルの「笹川記念 平和の塔」、そして返還の署名簿をおいた「北方館・望郷の家」。


ここからは、政治のレンズを外して、どんな自然も見ることができないように感じられます。オホーツク海も、遠くにかすむ島々も、政治の幕を意識しながら見てしまうのです。


政治に向き合いたい方には、納沙布岬はオススメです。
そうでない方には、根室の魚市場(旅情満点!)あたりでUターンすることをオススメします。





 


この「政治」がらみで、面白いと思ったことが2つありました。


1つは、クルマを飛ばしてくる道々で、さまざまな看板を目にしてきたんですが、
根室半島に入る前までは、「北方領土、戻って平和のある暮らし」みたいな標語が圧倒的に多数です。
それが、根室半島に入ると「返還! 北方領土」が多数となり、納沙布岬に近づくにつれて「返せ! 北方領土」へと変わります。


つまり、友愛 → 紳士的態度 → 怒号 へと変わっていくわけですね。


しかし、根室半島に入ると、交通信号に付く地名表記に、日本語・英語とならんでロシア語が必ず加わります。そこから、また違う声が聞こえてくるような感じもしたのですが。



 


もう1つ面白いと思ったのは、「返せ!北方領土 納沙布岬」の道標のすぐそばに建っている、根室市指定文化財(史跡)「寛政の蜂起 和人殉難墓碑」です。


墓碑には、こう記されています。


「寛政元(一七八九)年五月、国後島とメナシ(現在の標津町付近)のアイヌの人々が、当時この地域の場所請負人であった飛騨屋久兵衛の支配人らに脅されて、僅かな報酬で労働を強いられ、やむなく蜂起し和人七十一人を殺害した。


松前藩は、ノッカマップ(根室半島オホーツク海側)にアイヌの人々を集め蜂起の指導者三十七人を処刑した。このできごとは、“寛政クナシリ・メナシアイヌ蜂起”と称されている。(以下、略)」


引っ掛かるのは、こういう状況を「和人殉難」と記す政治性ですね。
ここにも、もう1つの政治があると感じました。


噛み下せない感情を抱えて、エンジンを始動。次は、網走へ。



【つづく】


<デスクより>

 その土地に行かないとわからないことがありますね。
 わたしも、中国東北部の東寧という街で、ロシア語の看板に出くわしました。日本の北の街にもあるわけですね。
 アイヌの人のこうした歴史について、せめて北海道の出身の人は、知ってるのかな……。お国自慢は聞いたことがあっても、アイヌという言葉に出会ったことはないように思います。




 

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