経堂の丈ちゃん 最終回

 

「丈ちゃんと金澤屋」

 

わたしがさぼっている間にも、丈ちゃんは、経堂の昼と夜をニコニコと巡回しているのだろう。
だってやっぱり、丈ちゃんは経堂の米屋「金澤屋」の顔だから。
と強引にタイトルに持って行き――。
「金澤屋は、丈ちゃんのお父さんが、ここ経堂で始めたんだよね」
「そう。兄貴が昭和10年生まれだから、その前の年、昭和9年だね」
金澤屋は、もう70年以上続いているのだ。
ちなみに丈ちゃんは、上代(カミダイ)丈夫と言います、昭和12年生まれ。経堂生まれの経堂育ち。
「お父さんが、金澤出身だから、金澤屋?」
「ううん、親父は富山の魚津出身。駒込の米屋で修業してたんだ。そこんちが『金澤屋』」
駒込のご主人が、有無を言わせず経堂の場所を決めてきた。丈ちゃんのお父さんは、それに従って、自分の店を始めた。
丈ちゃんは、自分を産んだお母さんの顔を知らない。お母さんは、男の子三人を産んでから、亡くなった。丈ちゃんが小学校に上がる前のこと。お父さんは後妻さんを迎えた。
老夫婦は今、別々の病院に入院している。
世間によくあるように、丈ちゃん夫婦は、老親の介護をする身でもある。丈ちゃんは、配達の途中に、うまくご両親の病院に立ち寄って、一緒にお昼を食べるようにしている。
それができなければ、夕方仕事を終えて、両親を見舞っている。

「丈ちゃんは、中学を出てから、ずっと米屋修業?」
「そう。でも、10代の終わりに家出したことがあんだよ」
ほほう。
丈ちゃんは、友達を頼って神戸に行った。そこで一年ほど、道路工事などの仕事をした。
「体には自信があったからよ」
今でも、30キロの米袋を軽々担ぐ丈ちゃんだから、きっとそうなんだろう。
「神戸にもまだ、赤線があったなあ、ふふ……」
ちょっと楽しい思いもしたんだろうか。
「なんで家出を?」
「兄貴も米屋の仕事をやるようになったから……面白くなかったのかもなあ」
お兄さんが高校に進んだから、丈ちゃんは「家の仕事は自分が」と思って中学を出てすぐに働きだした。そこにお兄さんも結局加わるようになったから、気持ちに変化が起きたのか。
しかし神戸から戻ってからは、お父さん、お兄さんとともに、丈ちゃんは金澤屋を盛り立ててきた。
お父さんは、仕事にはとても厳しい人だった、という。                       
<愛妻鶴子さんと愛猫チビ>

「お母ちゃんの鶴子さんと結婚したのは?」
「21ぐらいのときだったかなあ」
丈ちゃんの年齢説明は、いつも「……ぐらい」である。いいよね、ぐらいで。
鶴子さんは、理容学校に通いながら、居酒屋でアルバイトをしていた。丈ちゃんら経堂の人々が愛した「あさひや」という店である。
「そこで、お母ちゃんがチンピラにからまれてたから、おれがちょっと助けてやったのよ」
「で、結局、自分が持ってっちゃったんだ」
「まあ、そうだな、はは」
丈ちゃんと鶴子さんがかわいがっているのが、写真のチビちゃん。
野良猫だった。鶴子さんが拾ってきたときには、さすがの丈ちゃんも「え……!」と引いてしまうほど、チビは惨憺たる姿だったという。
しかし、鶴子さんが手をかけ、チビはこんなにべっぴんさんになった。今は丈ちゃんたちと一緒にお風呂に入っている。
丈ちゃんのところは、夫婦して愛情深い。
「丈ちゃん、今から、何かやりたいことある?」
「うん。体の続くかぎり、働きたいね」
丈ちゃんの答えは、簡潔だった。(終わり)

 

 

 

経堂の丈ちゃん 最終回” への4件のフィードバック

  1. 記憶喪失
    最近丈チャンは呑べいに辿り着く頃には出来上がり状態で翌日は何も覚えて無い事が多い様です困ったもんだと溢す今日この頃
    です。

  2. 失礼!
    確かめればよかったんですが。
    すぐに本文改めます。

  3. 丈ちゃん
    今日は丈ちゃんは、焼酎じゃなくてバリウム飲む日なのです。だから昨夜は、お酒のお誘いはご遠慮しました。世田谷区の検査で、ちなみにタダです。それから、<アサヒ屋>じゃなくて<あさひや>です。伝説の居酒屋なので、おしりおきを。

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